介護業界では長年に渡って人手不足の状況が続いています。その理由として一番に挙げられるのは、いつも決まって「賃金の低さ」でした。しかし何度かに渡って処遇改善政策が実施されて平均賃金が上昇した結果、それだけを理由に挙げるのは難しい状況になりつつあります。賃金の問題がある程度解消されたにもかかわらず、多くの事業所が人手不足であえいでいる、その理由はどこにあるのでしょうか。

データで見る介護士離職の実情

毎年公表されている介護労働実態調査の平成27年度版によれば、従業員が不足していると感じている事業所は全体で61.3%、前年度に比べて2%上昇しました。不足している理由の最たるものは「採用が困難である」で、その割合は70.8%と群を抜いています。採用が困難である原因は「賃金が低い」が57.4%、「仕事がきつい(身体的・精神的)」が48.3%となりました。この数字を見ると介護事業所の半数以上は人材確保に困難を抱えており、仕事のキツさや給与の低さといった介護業界全体の問題に、その原因があると考えているようです。
同調査では事業所に対してだけではなく、介護従事者に対してもアンケートを取っています。それによると介護を仕事に選んだ理由は「働きがいのある仕事だと思ったから」が52.2%でトップであり、現在の仕事に関する希望や勤務先に関する希望を聞いても「今の仕事を続けたい」が65.5%、「今の勤務先で働き続けたい」が57.5%と半数を上回りました。また介護関係の仕事を辞めた一番の理由は「職場の人間関係に問題があったため」が25.4%でトップ、次いで「法人や施設・事業所の理念や運営のあり方に不満があったため」が21.6%と続きます。「収入が少なかったため」という理由は全体の17%で、4番目の理由にすぎません。
調査内容を総括すると、事業所側は介護報酬が低いため十分な給与を支払えないことを人材不足の理由と考えているのに対し、実際に介護に従事している人は仕事に賃金よりもやりがいや充実した人間関係を求めていることがわかります。

人はパンだけで生きるのではない

人が集まらない理由は介護報酬や介護の仕事がきついためではなく、やりがいのある職場作りを行えていない事業所自体に問題があるという、事業所にとっては非常に耳の痛い結論となりました。しかし一方でこれはチャンスでもあります。介護報酬や介護の仕事内容は自分たちのがんばりで変えることができませんが、仕事にやりがいを感じてもらうことや職場の人間関係を良好に保つことは、努力次第で可能だからです。
社会福祉の現場でよく知られている説に「マズローの欲求5段階説」があります。人間の欲求は5段階のピラミッドのように構成されていて、低い階層の欲求が満たされるとより高次の欲求に向かうという考えです。「生活していくのに十分な賃金」とは生理的欲求や安全欲求といった1、2段階目の欲求に含まれます。その一方で「居心地の良い人間関係」は3段階目の社会的欲求に、「やりがいを持って働きたい」「自分の力を発揮したい」といった気持ちは、最終段階の自己実現欲求といえるでしょう。ちなみに第4段階は承認欲求と呼ばれ、他者から認められたい、尊敬されたいといった気持ちを指します。
マズローの欲求5段階説に当てはめて考えてみると、介護士を志す人の多くがより高次の欲求を満たしたいと思って介護の仕事に就いているのに、事業所側が低次の欲求を満たすことだけに執着した結果、雇用者と被雇用者のあいだにギャップが生まれ、そのギャップが解消されない結果人手不足が起こるという事態が生じていることがよくわかります。聖書にもある通り「人はパンだけで生きるのではない」のです。

介護士が「働きたい!」と思える職場を作れているか

働きたいと思える職場を各介護事業所が作ることができれば、新しい人材が介護業界に流れ込むだけでなく、かつて介護士として働いていた人が戻ってくる可能性も増すはずです。介護福祉士の資格を取得しているのに実際に介護職として働いていない人、いわゆる潜在介護福祉士は全国で約45万人もいるといわれています。これは2025年に不足すると言われている介護士の数30万人を大きく上回る数字です。潜在介護士のうちの何割かでも介護の仕事に再び魅力を感じ、介護士として復帰してくれれば、介護業界のみならず日本全体にとってもこれほど心強いことはありません。
国は政策として介護士の最低賃金の上昇やキャリアパスの要件を定めることは可能です。しかしながら実際に働く現場の人間関係に介入したり、やりがいを持ってもらうために指示したりすることはできません。介護の現場で働く人たちが仕事にやりがいを感じ、自己実現のひとつの手段として考えられるようになるためには、まずは各事業所が自分の職場の問題を直視して取り組むことが必要です。それだけでなく現場で働く介護士自身が、問題解決を誰かに委ねるのではなく、自分たちの力で解決しようとすることが欠かせないのではないでしょうか。